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知られざる感動秘話:日本人を救った、ラルフ・ローレンス・カー [日記]




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こんばんは!
 

なかなか耳にした事がない人ですが、「ラルフ・ローレンス・カー」と言う人はご存知でしょうか??

 
※有名ブランド、ラルフ・ローレンとは関係ありません  

彼は第二次世界大戦頃のアメリカ・コロラド州知事さんだったのですが、実はこの方は当時の日系人・在アメリカ日本人にとって大恩ある方なんですね。
 
 
 
どういう人だったのでしょう…
 
 
 
 
 

 


日系人を救った政治家ラルフ・カー 信念のコロラド州知事


日系人を救った政治家ラルフ・カー 信念のコロラド州知事



 

 

 

第二次世界大戦の最中、アメリカ国内では反日感情が高まっていました。
それこそ、在アメリカ日本人や日系人は物凄い弾圧を受けながら生活していたんですね・・・。


 

反日世論は加速し、アメリカ国内で日系人に対しての収容所まで作られたほどです…


 

ホロコーストほどの悲劇は無かったものの、当時のユダヤ人と状況が似ていますよね。



 

しかし、ラルフ・ローレンス、カーは日系人というだけで差別するのは不当である!と日系人を擁護したのです。
 
 

1941年12月の真珠湾攻撃以降、反日感情が高まり・・・他の州から在アメリカ日本人、日系人がコロラドに逃げてきました。そんな彼らをカーは受け入れたのです。そして、真珠湾攻撃から3ヵ月後のラジオでカーは演説します。
 

wikiからの引用:

 

”コロラド州民のみなさん、冷静に賢明な市民として振るまおうではありませんか。 アメリカが人種の坩堝であるという事を思い出してください。アメリカに対する忠誠心を、その人の祖父が生まれた場所で計る事は出来ません。もとをたどれば、我々全てのアメリカ人は国境の向こう側からやってきたのではありませんか。

コロラド州アマチ収容所の約2ヶ月前にあたる6月頃に、カーは多数の日本人・日系人転入に対してコロラドの住宅・雇用・住民の保護に連邦政府の早急な対応が必要であること、一方で日系アメリカ人や合法でアメリカに入国した日本人もコロラドに住む権利を持ち安全を保障されるべきであることを述べた書簡を法務省のコロラド代表検察官宛てに送っている。

カーは戦時転住局が西海岸に住む日本人と日系アメリカ人を1942年8月よりコロラド州プロワーズ郡グラナダに近いアマチに強制移住させることになった時も、「西海岸における第五列防止案」として支持した。しかし当時のコロラドの経済、市民リーダーはおろか連邦裁判長も賛成していた「日系人の強制収容所案」には強く反対した。世間の反日運動という風潮に逆らって、日本人と日系アメリカ人達を歓迎するようコロラド州民に呼びかけた。

現在、日本語を話す人達は皆、大変つらい立場にある。我々はアメリカのシステムを守るために、そして国境を越えた同胞関係を維持するために、力を合わせなければならない。(中略)もし我々がこれらの人々(日系人)に人道的親切や理解を与えなかったら、彼らの権利章典の保護を拒否したら、公聴会や不品行の告訴なしに48州のいずれにも住む権利を与えなかったら、我々はアメリカのシステム自体をつぶしていることになる。もし戦争におけるコロラド州の役目が日系人10万人を受け入れることであるなら、コロラドは彼らの面倒を見る。

3000人の日本人と日系アメリカ人がアマチ収容所に到着したとき、地元の暴徒の群が脅しに現れた。カーは飛行機で現地に飛び、暴力を止めている。この時カーの生涯で最も有名な演説を行っている。

彼ら(日系人)に危害を与えるのなら、私に与えなさい。小さな町で育った私は、人種差別による恥辱や不名誉を知り、それを軽蔑するようになった。なぜならそれ(そのような行為)は、幸せ(な生活)を脅かすものだからだ、あなたの幸せ、あなたの幸せ、そしてあなたの幸せを。(最後の部分は周りを見回して言ったと見られる。)

カーは敬意を持って日本人と日系アメリカ人に接し、彼らがアメリカ市民権を失わないよう支援を行った。”

 

もう、涙ボロボロものです・・・。

世論を気にする政治家ばかりの昨今・・・男気のある方ですね。ただし、彼は真珠湾攻撃の翌年の選挙、1942年の選挙で落選しています・・・。


 

我々にとっては第二次世界大戦中にナチスの弾圧からユダヤ人を救った日本人・杉原千畝さんのような存在かもしれません
有名な話ですが、杉原千畝さんは当時ナチスドイツと同盟関係にあった日本政府の反対を押し切り、多くのユダヤ人を国外逃亡させて救った方です。


杉原千畝と命のビザ [ ケン・モチズキ ]


杉原千畝と命のビザ [ ケン・モチズキ ]



 

しかも、国外逃亡したユダヤ人の多くはアメリカに行ったのですね


 

この辺りもユダヤ人とのリンクが歴史を面白くさせます。


 

歴史の皮肉とでも言うのでしょうか?人権弾圧していたナチスを嫌ったはずのアメリカが、アメリカ国内では日系アメリカ人を弾圧していた訳です…


 

ラルフ・ローレンス・カーは広義にはアイルランド系アメリカ人ですが、アイルランド系アメリカ人の気骨とも言えるのでしょうかね。


 

アイルランド系アメリカ人はけっこう強硬派…と言うか、芯の通った著名人が多いので私は案外好きな方です。


 

今回は、我々日本人にとってホロリとするようなお話でした。
 
 


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ありがとうございました!

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※最後にカーの死後の評価は・・・。
以下、wikiより引用:

”カーはデンバーのフェアマウント墓地に最初の妻グレッチェンと共に葬られている[3]1974年コロラド州知事舎の横に以下のような記念碑が作られた。

第二次世界大戦中の日系アメリカ人に対するヒステリーや偏狭な思い込みに影響されることなく、賢明で、人情味のあった人、ラルフ・L・カー知事に捧げる。彼の人道的な努力によってコロラドに住む日系人は誰一人として基本的自由を奪われることはなかった。また西海岸から退去した日本人には受け入れ手がなく、強制収容所での監禁という手段しかなかった時に、カー知事は彼らをコロラドへ受け入れてくれた。彼の成し遂げた行為に息づく精神は、真のアメリカ人すべての心の中に生き続けるものである。1974年10月 コロラド州東洋文化協会および日系人コミュニティーが贈る。[8]

1976年、カーの日系人に対する活動を記念して、デンバーのダウンタウン19番通りとローレンス通りにあるたった1ブロック四方だが歴史の古い日本人町、サクラ・スクウェアにカーの胸像が立てられた[13]。胸像には以下の言葉が記されている[5]

第二次世界大戦中の集団ヒステリー状態で、アメリカを他国とは違う国に成らしめている気高き道義を他の権力者達が忘れてしまった中で、コロラドの州知事ラルフ・L・カーは賢明さと勇敢さを持って迫害されていた少数民族の日系アメリカ人を強く弁護した。カーは言った、「彼らは忠誠なアメリカ人である」「敵と同じなのは人種という点だけである」と。自分の政治生命の終わりとなるやもしれない行動であるのに、戦争に対する州の努力に参加させるべく日系人をコロラドに歓迎した。敵意に満ちた西海岸から何千人もが保護を求めてコロラドに移り、留まってコロラドの市民生活、文化、経済に多く貢献した。カー知事の博愛の恩恵を受けた者達が、彼の断固としたアメリカ精神に感謝の意を表して、また彼が支持した大切な民主的理想は偏見や無知から永遠に守られるべきだということを永遠に忘れないためにこのモニュメントを建てる。1976年8月21日

1999年デンバー・ポスト紙は第二次大戦中の日系人に対するカーの人道的な行いを称えて「今世紀の人」に選んだ[14][10]

2002年1月23日にコロラド州は議会法案(HB-1095号)で、カーの生誕日である12月11日を「ラルフ・カー知事の日」としてコロラド州の祝日と制定した。公立学校は学区の判断でこの日を休校としてもよいこと、また州の公務員は希望すれば同じ年度内の他の祝日の代わりに、ラルフ・カー知事の日を祝日として使ってよいこと(つまり年間の祝日数は変わらない)が決定した[15][16]。”

心より、ご冥福をお祈りします・・・。




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コメント 1

エコピーマン

このことは 私全くしりませんでした
このような素晴らしい人がいるというのも米国らしいと思います
第2次大戦の時 日系人 2世の人達はひどい
仕打ちを受けたんですよね それは知ってます
でも 白人の人の中には 根強く色付きの人種差別は脈々と
受け継がれているのも事実です これもまた米国らしいのですが
移民の国 米国ですからね
警察官の 黒人に対する発砲や 暴力的な対応は
止めてもらいたいですね

by エコピーマン (2015-11-07 13:08) 

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